雑記

自分用ブログ

旅の思い出#1

中学3年生の夏、僕は家族旅行の最後の目的地、長野県の白馬に向かっていた。父親の運転するワンボックスカーは、国道148号を姫川沿いに松本から糸魚川に向けて急いでいた。信濃大町を過ぎ、左手に大小の湖が見えてきたとき、フロントガラスにぽつりぽつりと雨が降ってきた。それまでは曇り空で持ちこたえていたのに、急に白い霧が立ちこめて、白馬町内に入る頃には本降りとなった。それからしばらく走ると今日泊まるホテルが見えてきた。荷物が濡れないよう、コテージ風の玄関前に車をつけた。

 

白馬はこれまで何度か訪れたことはあったが、やはりいいところであった。白馬駅から八方尾根スキー場へ向かって伸びるなだらかな斜面に温泉地が広がっており、冬には雪を着るであろうモミの木が今は雨に濡れ緑色に光っていた。僕の好きな高原地帯の保養地の雰囲気が街から醸し出されていた。

 

玄関に入ると北欧風の重厚な内装のロビーが僕を迎えてくれた。一階にはスキー用具置き場や乾燥室の看板もあったので、冬期になるとスキー客で賑わうのだろうが、今は8月の夏真っ盛りであり、宿泊客も多くはなく、館内は閑散としていた。僕達は2階の部屋に案内された。最近改装されたトリプルベッドの広く清潔な部屋だった。カーテンを開けると雨でしっとりと濡れた中庭が見えた。 部屋でくつろいだ後、温泉に入った。白馬八方温泉は全国でも有数のアルカリ泉であり、pHは10を超えるという。ジャグジーは素晴らしかったし、肌もつるつるになった。夕食は、別棟の教会のような場所に案内され、フランス料理を食べた。本当に美味しかった。食事後、部屋に帰って寝る支度をし、10時には部屋を暗くした。目を閉じて、今日一日を振り返ってみた。高校受験の年なのに自分は5日間も旅行をしていていいのだろうか、そして、いまごろ友人達は塾にこもって勉強しているのではないか、と思った。そんなことを考えていたらいつの間にかとても眠くなってきた。意識が遠のいていくなか、耳元にかすかな虫の羽音が聞こえていた。

 

 真っ暗闇のなか、僕は目覚めた。枕元の時計で時間を確認してみると深夜の2時だった。信じられなかった。ロングスリーパーの僕は、当時毎日21時台には布団に入り朝の7時までぐっすり寝る生活を送っていたし、途中で起きることなんて今までなかったからだ。自分の身体に何が起きたんだと思っていると、突然全身に不快なかゆみが襲ってきた。と同時に、部屋に広がる暗闇を支配するような何かの気配が感じられた。隣のベッドに寝ている父親も異変を察知し起きたようだった。上体を起こしてみるとブーンという音が部屋の至る所から聞こえてきた。顔に小さな虫のようなものが次々に当たってくるのも感じられた。僕は急いですぐ近くにある部屋の照明のスイッチを入れた。辺りは一瞬で明るくなった。そこには目を疑う光景が広がっていた。

 

部屋の中には黒い虫の大群が飛び回っていた。部屋のすべての壁にはびっしりと虫がとまっていた。突然の明転で驚いたのか虫たちの動きも活発になり、僕と父親を襲ってきた。そのころにはもう母親も起きていた。顔の周りをうるさく飛び回る虫をパチンパチンと叩いていると、手のひらが赤くなった。これは蚊だ。

 

そう気づいたときにはもう全身のかゆみがむずむずと感じられてきた。だが、なんとかこの状況を打開しなくてはいけない。いったい何が起きたのだろうと思いながら、父親と2人で部屋を探索していると、カーテンの後ろで窓が30㎝ほど開いていることに気づいた。すぐに閉めた。これで新たに蚊が部屋の中に入ってくることはないだろう。しかし、あらためて部屋を見てみると、そこはまるで蚊を飼育している虫かごのようだった。再び快適に眠れる環境を取り戻すため、とにかく地道に駆除を始めていくしかなかった。蚊との戦いが始まった。当然、ホテルの部屋の中にはえたたきなどあるはずがないので、まず、壁に止まっている蚊たち一匹ずつ手ではたいていった。それらの蚊は例外なく白い壁に赤い血の跡を残して死んでいった。人力では埒があかないので、ティッシュボックスの箱を使う事で殺傷能力を向上させた。壁や机、タンス、ベッドに止まっている蚊を全て仕留めた後、今度は室内を飛び回る蚊に立ち向かった。空中では何かの道具を使うわけにもいかず、家族3人でひたすらパチンパチンと手を打った。結局、部屋の目に付くところにある蚊を全て退治するのに1時間半かかった。相変わらずかゆみは全身に広がっていたので身体を調べてみると、全身の皮膚という皮膚が赤く腫れ上がっていた。しかし、どうしようも出来なかったので深夜だったこともありとりあえずベッドに入った。

 

浅い眠りのまま、朝を迎えた。服を脱いでもう一度全身を見てみた。1カ所、2カ所…と蚊に刺された場所を数えたところ、なんと80を超えていた。夏だったので下着だけで寝ていて露出が多かったことも災いした。自分はこれまでなぜか蚊にさされやすい体質だったが、これほどまでなのは初めてだった。父親も約80、母親は30程度だった。僕と父親は窓に近いベッドに寝ており、そのぶん多くの蚊の餌食となった。朝食のバイキングも美味しかったが、正直それどころではなかった。さらにかゆみは昨晩よりも酷くなっていたので、フロントに行って虫さされの薬をもらってきた。5分おきにムヒを全身に塗った。人生でここまでムヒに感謝したことはないし、これからもすることはないだろう。そうだ、ここは温泉だ、アルカリ泉は虫さされに効くかもしれない、と思って、再度入浴もしてみたものの逆に血行が促進されてかゆみは増した。

 

帰りの車の中で家族会議が開かれた。前日からの状況の証言をもとにあの部屋でいったい何が起きたのかを明らかにしていった。30分ほどで詳細な状況がつかめてきた。

 

 ①蚊の襲撃の直接の原因となった「窓を開ける」行為をしたのは父親であった。当然のように彼は非難の的になったが、僕は100%彼に責任があるとは考えていない。僕達は白馬に来る前、同じ長野県の蓼科周辺に滞在していた。そこは標高1300mの高原地帯で、気温は10度台と涼しく、ホテルの窓を開けても虫は一切入ってこなかった。冷房もつけず、夜は窓を全開にしていた。父親はそこの気候に慣れていたので、白馬でも部屋に入ると同時にためらうことなく窓を開けた。窓を開けて、と言われれば僕も母親もそうしただろう。白馬の標高500mは、蚊の生息域に入っているようだった。

②ただ、窓を開けていたとしても、それだけでここまで大きな被害を受けるとは考えにくい。しかし、僕達の部屋が比較的低層階に位置し、自然豊かな中庭に面していたこと、白馬ではここ数日ぐずついた天気が続き、水たまりのボウフラが一斉に羽化したのではないかということ、真夏であり皆が軽装で寝ていたこと、などが被害を拡大させたと考えられる。

 

そして、なにより困ったのは僕が翌日に高校入試の模擬試験を控えていたことである。中学校が主催の年に3回しかない進路を決める上で重要なテストだった。時間が経つにつれ全身のかゆみは強さを増してくるし、このままでは机に集中して向かうことすら出来ないだろう。とりあえず明日の様子を見てみることで家族の意見は一致した。

 

 

 

翌朝、僕は中学校に電話した。

「先生、今日の模試、全身のかゆみにより欠席します」

電話口の向こうで担任が息をのむのが聞こえた。僕は後日再受験となった。