雑記

自分用ブログ

マンションについての謎#1

僕は決して治安がいいとは言えない都内の○○区△△にあるマンションに住んでいる。インドカレー屋の店主から留学生、デイケアを受けるご老人まで住んでいるこのマンションは正直謎だらけで二年以上住んでいても分からないことだらけだ。

 

#1謎の管理人

僕の住んでいるマンションの玄関には、毎日大量に投函される不要なチラシを入れるための小さなボックスが設置されている。このマンションはセキュリティーという概念がないので、誰でも建物の中に入って来られるし、なんなら部屋のドアの前にも立てる。チラシ配布人にとってここまで配りやすいマンションは無いのだろう、数日間家を空けると溢れんばかりのチラシがポストに入れてある(そのほとんどが全く価値のないものだ)。ただ、このボックスはいっぱいになって溢れることが無いので、毎日何者かが中をきれいにしていることがうかがえる。ただ、このマンションに常駐の管理人はいない。ではいったい誰がこのチラシのゴミを捨てているのだろうか。管理会社は比較的大手で管理している物件数も多いだろうし、こんなどうしようもないマンションに毎日人を送るはずもない。

 

ただ僕にはひとつ思い当たる節があった。朝9時前ぐらいにマンションの共用部分でガラスの玄関扉をぞうきんで掃除したり、床をほうきで掃いたりしている60歳くらいのおじさんにかなりの頻度で遭遇するので、彼がついでにそのボックスも空にしているのではないかと思ったのだ。彼はすれ違うと「おはようございます」と絶対に言ってくれるし、荷物が多い時にはドアもあけてくれる。おそらく彼は管理会社から派遣された人物で、それを仕事にしているのだろう、毎朝やってきてマンションの共用部分を清掃しているのだろう、と。ただ、僕は見てしまったのだ、このマンションの他の住人が知るよしもない彼の秘密を。

 

事件が起きたのは梅雨時の明け方のことだった。僕は5時くらいに変な音で目を覚ました。耳を澄ませてみるとドアの向こうの廊下から咳払いのような音が30秒おきくらいに断続的に聞こえてきていた。築年数の建ったマンションだし、ドア自体も薄く、他の部屋の音も聞こえてくることがあるので、今回もそんなものだろうと思ってもう一度寝た。次に起きたのは9時くらいだった。しかしまだ咳払いのような音は聞こえ続けていた。しかも廊下には何か人の気配のようなものも感じられた。これはどうもおかしいと思って、玄関ドアの覗き穴からそっと廊下の様子をうかがってみた。スコープのような覗き穴から180度拡大されて見える廊下の景色に思わず息をのんだ。

 

そこには人が横になっていた!僕の部屋のドアのすぐ前、外開きのドアを開けると60度も開かないうちにぶつかってしまう所に男性が寝転んでいたのだ。さらに目をこらしてよく見てみると、彼は段ボールのようなものを下に敷いて、顔を廊下の壁側に向けていた。最初、状況が全く理解できなかった。ただ、僕は困った。2限から始まる授業に間に合うように家を出なくてはならないが、彼がドアの前に寝ていることで物理的にドアが開かない。そして、もし部屋を出られたとして、どのような視線を向ければいいのだろうか。絶対に気まずくなる。いや、もっと危険なことになるかもしれない。どうするべきか悩んだが、彼が起き上がってどこかへ行ってくれることを祈りつつ、外出の準備をした。しかし彼はそこに居続けた。僕はもう待てなくなった。焦っていた。このまま家から出られなくては遅刻する。何度も躊躇したが意を決してドアを開けた。

 

扉を開いた瞬間、彼は身体を起こした。目と目が一瞬合った。僕はその顔に見覚えがあった。それはいつもこのマンションの入り口を掃除しているおじさんだったのだ。彼は無言のまますぐに僕から目を背け、ぞうきんを手にとって廊下の壁を拭き始めた。まるでここにいたのはいつもやっている掃除の延長であったかように。

 

僕は驚いたが何事もなかったかのようにエレベーターに向かい下へ降りた。頭の中は混乱していた。そういえばいままで彼について不思議に思うところがたくさんあった。まず掃除している彼の身なりは毎日同じで清潔とは言えなかったし、すれ違うとにおいさえした。僕の住んでいる地域にはホームレスも多い。この梅雨時に屋根を求めてマンションの中に入ってきたのはないか。

 

しかし彼がホームレスだとすると、なぜマンションのエントランスを掃除しているのかが分からなかった。ホームレスに業務委託をする管理会社などいるはずもないので、完全な奉仕活動としか思えない。自分を住まわせてくれるマンションへの感謝であろうか。

 

その日以降、彼が僕の玄関ドアの前で寝ることはなくなった。もしかしたら他の階に行ったのかも知れない。ただ、今日も何事も無かったかのように僕はマンションの玄関で彼とすれ違う。僕はこれ以上、このことを考えるのをやめることにした。

雑談

僕はハルキストと言うほどではないが、村上春樹の小説を好んで読んでいる。いままで読んだ中でおすすめのものをいくつか紹介してみたい。

 

カンガルー日和

カンガルー日和 (講談社文庫) | 村上 春樹, 佐々木 マキ |本 | 通販 ...

短編集。中でも、『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』は今までの人生で読んだ文章の中でトップ3に入るほど好きな作品。物語の舞台、裏原宿にはよく行っていたので個人的な思い入れもある。『サウスベイ・ストラット―ドゥービー・ブラザーズ「サウスベイ・ストラット」のためのBGM』や『1963/1982年のイパネマ娘』のように60~80年代の空気感が色濃く感じられる作品も多い。下北沢ガレージのカフェで読みたくなる。

 

国境の南、太陽の西

国境の南、太陽の西 (講談社文庫) | 村上春樹 | 日本の小説・文芸 ...

村上の長編の中でいちばん好きかもしれない作品。30代の男の主人公が不倫する話、と言ってしまえば簡単だが、読んでいる途中から、ため息をついて大きく深呼吸したくなる。読みきった後に感じる限りない虚無感と喪失感。もしかしたら彼の気持ちが分かるときが来るのかも知れない、と思うと怖くなる。『BMW のハンドルを握ってシューベルトの『冬の旅』を聞きながら青山通りで信号を待っているときに,ふと思ったものだった。これはなんだか僕の人生じゃないみたいだな,と。』以下で始まる一節は痺れる。大人になって再読したい。

 

風の歌を聴け

風の歌を聴け (講談社文庫) | 村上春樹 | 日本の小説・文芸 | Kindle ...

デビュー作。これを僕に勧めてくれた友達は冬休み中に3回も読んだという。音楽的な作品で、こんな文章を書いてみたいと思わせる。登場人物の飲むビールの量と吸うタバコの本数は尋常じゃないが、本の世界に入って彼らと一緒にバーに行きたくなるし、僕達はまだ若いということを再認識させられる。まだ21じゃないか。

 

 

ノルウェイの森

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫) | 村上 春樹 |本 ...

僕の人生がいい意味である程度狂わされた作品。1970年を生きる登場人物たちはみな大学生で、彼らの言葉の数々に深く考えさせられた。読み終わったと同時に頭が真っ白になって、僕の中にあるものも一緒に失われたと思った。人生はビスケットの缶である。主人公は早稲田生で、大学内の描写も出てくるし、実際のキャンパスが映画化の際に撮影で使われた。好き嫌いの分かれる物語だが、早大生は一度は読んでみてもいいかも。

あのシーンはどこ? 早稲田ロケ地巡り 村上春樹『ノルウェイの森』聖地巡礼(映画編) – 早稲田ウィークリー

旅の思い出#2

僕はビンゴにいい思い出がない。これまで自分が参加したビンゴ大会で、まともな景品をもらったことは皆無に等しい。小学生のとき、町内会主催の外れのないビンゴ大会でも貰った景品は6等の消しゴムだったし、高校の同窓会のビンゴ大会も、あとひとつが空かなかった。

 

旅行中、滞在先のホテルでビンゴ大会が開催されることがよくある。主にファミリーの宿泊が多いところや大きめの温泉旅館だと、夜の8時くらいからロビーやホールで、「夏休み限定!大ビンゴ大会!」が開かれる旨がエレベーターに貼り付けられているものだ。夕食が終わった後には僕らもよく参加した。ただ、そこでも結果は同じだった。自分だけでなく、家族揃ってビンゴは苦手で、一家として考えても、いい景品が当たったことは一度もなかった。

 

唯一、いいところまで行った、と思えたことがある。中学1年生のときに宮城県蔵王温泉のホテルに宿泊した際、例のように夜からビンゴ大会が開催された。エレベーターの張り紙だけでなく、館内放送でも呼びかけられ、ホールに宿泊客が100人ほど詰めかけた。入り口でビンゴカードをもらい、愉快な音楽が流れる中、椅子に着席した。ステージ上のスクリーンには、ビンゴ大会専用?のソフトウェアを使って、ランダムに番号が映し出されていくようだ。しばらくするとホテルの従業員が現れ、ビンゴ大会の開始を告げた。「本日は○○ホテルにお越し下さいまして誠にありがとうございます!このビンゴ大会には素敵な景品をそろえております。一等は2万円分の当ホテルグループのペア宿泊券を2組様、二等は1万円分の宿泊券を2組様、三等は当ホテルのマスコットキャラクターのぬいぐるみを2名様・・・・・」いつも思う事だが、今回こそ、何かが当たるかも知れない、と思っていた。

 

スタッフが降壇して、ビンゴ大会が始まった。何回かスクリーンに番号が表示されることが繰り返された。しかし手に持っているビンゴカードは遅々として空かない。今回もだめか、と思っていると、早速1人がリーチした。回を重ねるごとにリーチの人が増えていった。そしてその中から2人ビンゴが出た。これで一等はなくなった。景品をもらった人に向けて、虚無感に包まれたまま拍手した。そうこうしているうちにまたひとりビンゴが出た。数字が全く空いてないきれいなビンゴカードを手に持って、ため息をついた。と、そのとき、隣に座っていた父親が耳打ちした。

「俺のやつ、実はあとひとつ空いたらビンゴなんだ」

驚いて父親のカードを見ると、もうすでにかなりの穴が空いていた。ダブルリーチがかかっている。そのとき、次の番号がスクリーンに映し出された。信じがたかったが、その番号で、父親のカードはビンゴした。

「ビンゴした方は前の方までお集まりください」

周囲がざわつく中、父親は、「景品を取りに行ってきなさい」と僕にカードを渡した。僕はまだ若く、無邪気にそのカードを受け取って、一目散にステージに上がった。僕は本当に興奮していた。今までここまで序盤でビンゴしたことはなかったし、何より1万円の宿泊券がまだひとつ残っていた。この回でビンゴしたのは自分だけでありますように、とステージの上からホールを見回した。とそのとき、僕は、もう1人がゆっくりとステージに近づいてくるのを目にした。60代くらいの女性だった。

 

「ビンゴした方はもういらっしゃいませんね?・・・お二人ですか・・・困りましたね・・・二等もあと残りひとつですし・・・・・・では、じゃんけんとさせていただきます。勝った方が二等の宿泊券、負けた方は三等のぬいぐるみです!!」

 

一瞬、何が起こったのか分からなかったが、状況が飲み込めて来たとたん、僕はこのじゃんけんの怖さに気づいてきた。勝てば1万、負ければぬいぐるみ。いままでの人生で、ここまでの重要性を持ったじゃんけんを経験したことはなかった。友達とするじゃんけんとはレベルが違う。しかもみんなが見ている。当然相手の女性もこの展開になるとは思っていなかっただろう、あっけにとられていた。

「ではじゃんけんを始めさせていただきます」

心の準備が出来ていないうちに、僕達2人はステージの一番目立つところに案内された。椅子に座った大勢の宿泊客が2人のじゃんけんを静かに見つめている。勝つのは中学生くらいの男の子か、それともおばあさんか。

「最初はグー、じゃんけんポン!」

その瞬間を、いまでもスローモーションのように憶えている。僕がグーを出し、彼女はパーを出した。おばあさんは少し笑って安堵の表情を浮かべた。僕は呆然とした。

おばあさんは1万円の宿泊券を受け取った。司会の男性従業員は僕を見て言った。

「残念だったね。でも、このぬいぐるみも非売品なんだ。大事にしてね」

僕は30cm位あるそのぬいぐるみを持って家族の待つ椅子へ戻った。

 

僕は部屋に帰って親からの慰めを受けた。もう別に1万円は惜しくなかったが、やはりあのときチョキを出していたらと悔やんだ。正直、それよりも周囲の視線に戸惑った。比較的大きなホテルではあったが、あまり多くの宿泊客はおらず、顔ぶれを見る限り、その日に泊まっていた半分くらいの人がビンゴ大会に来ていたようだった。そのため、翌日の朝食バイキングや温泉大浴場、廊下など、人とすれ違う場面で、周りの人が「ビンゴ大会で負けてぬいぐるみをもらっていった子」のような視線を向けてくるのが堪らなかった。エレベーターでは「昨日は残念でしたね」と話しかけられもした。自意識過剰なのかも知れないが、それがチェックアウトするまで続いたと感じている。

 

いまそのぬいぐるみはどこにいったのか分からない。ただ、僕は今でもビンゴが苦手だ。

旅の思い出#1

中学3年生の夏、僕は家族旅行の最後の目的地、長野県の白馬に向かっていた。父親の運転するワンボックスカーは、国道148号を姫川沿いに松本から糸魚川に向けて急いでいた。信濃大町を過ぎ、左手に大小の湖が見えてきたとき、フロントガラスにぽつりぽつりと雨が降ってきた。それまでは曇り空で持ちこたえていたのに、急に白い霧が立ちこめて、白馬町内に入る頃には本降りとなった。それからしばらく走ると今日泊まるホテルが見えてきた。荷物が濡れないよう、コテージ風の玄関前に車をつけた。

 

白馬はこれまで何度か訪れたことはあったが、やはりいいところであった。白馬駅から八方尾根スキー場へ向かって伸びるなだらかな斜面に温泉地が広がっており、冬には雪を着るであろうモミの木が今は雨に濡れ緑色に光っていた。僕の好きな高原地帯の保養地の雰囲気が街から醸し出されていた。

 

玄関に入ると北欧風の重厚な内装のロビーが僕を迎えてくれた。一階にはスキー用具置き場や乾燥室の看板もあったので、冬期になるとスキー客で賑わうのだろうが、今は8月の夏真っ盛りであり、宿泊客も多くはなく、館内は閑散としていた。僕達は2階の部屋に案内された。最近改装されたトリプルベッドの広く清潔な部屋だった。カーテンを開けると雨でしっとりと濡れた中庭が見えた。 部屋でくつろいだ後、温泉に入った。白馬八方温泉は全国でも有数のアルカリ泉であり、pHは10を超えるという。ジャグジーは素晴らしかったし、肌もつるつるになった。夕食は、別棟の教会のような場所に案内され、フランス料理を食べた。本当に美味しかった。食事後、部屋に帰って寝る支度をし、10時には部屋を暗くした。目を閉じて、今日一日を振り返ってみた。高校受験の年なのに自分は5日間も旅行をしていていいのだろうか、そして、いまごろ友人達は塾にこもって勉強しているのではないか、と思った。そんなことを考えていたらいつの間にかとても眠くなってきた。意識が遠のいていくなか、耳元にかすかな虫の羽音が聞こえていた。

 

 真っ暗闇のなか、僕は目覚めた。枕元の時計で時間を確認してみると深夜の2時だった。信じられなかった。ロングスリーパーの僕は、当時毎日21時台には布団に入り朝の7時までぐっすり寝る生活を送っていたし、途中で起きることなんて今までなかったからだ。自分の身体に何が起きたんだと思っていると、突然全身に不快なかゆみが襲ってきた。と同時に、部屋に広がる暗闇を支配するような何かの気配が感じられた。隣のベッドに寝ている父親も異変を察知し起きたようだった。上体を起こしてみるとブーンという音が部屋の至る所から聞こえてきた。顔に小さな虫のようなものが次々に当たってくるのも感じられた。僕は急いですぐ近くにある部屋の照明のスイッチを入れた。辺りは一瞬で明るくなった。そこには目を疑う光景が広がっていた。

 

部屋の中には黒い虫の大群が飛び回っていた。部屋のすべての壁にはびっしりと虫がとまっていた。突然の明転で驚いたのか虫たちの動きも活発になり、僕と父親を襲ってきた。そのころにはもう母親も起きていた。顔の周りをうるさく飛び回る虫をパチンパチンと叩いていると、手のひらが赤くなった。これは蚊だ。

 

そう気づいたときにはもう全身のかゆみがむずむずと感じられてきた。だが、なんとかこの状況を打開しなくてはいけない。いったい何が起きたのだろうと思いながら、父親と2人で部屋を探索していると、カーテンの後ろで窓が30㎝ほど開いていることに気づいた。すぐに閉めた。これで新たに蚊が部屋の中に入ってくることはないだろう。しかし、あらためて部屋を見てみると、そこはまるで蚊を飼育している虫かごのようだった。再び快適に眠れる環境を取り戻すため、とにかく地道に駆除を始めていくしかなかった。蚊との戦いが始まった。当然、ホテルの部屋の中にはえたたきなどあるはずがないので、まず、壁に止まっている蚊たち一匹ずつ手ではたいていった。それらの蚊は例外なく白い壁に赤い血の跡を残して死んでいった。人力では埒があかないので、ティッシュボックスの箱を使う事で殺傷能力を向上させた。壁や机、タンス、ベッドに止まっている蚊を全て仕留めた後、今度は室内を飛び回る蚊に立ち向かった。空中では何かの道具を使うわけにもいかず、家族3人でひたすらパチンパチンと手を打った。結局、部屋の目に付くところにある蚊を全て退治するのに1時間半かかった。相変わらずかゆみは全身に広がっていたので身体を調べてみると、全身の皮膚という皮膚が赤く腫れ上がっていた。しかし、どうしようも出来なかったので深夜だったこともありとりあえずベッドに入った。

 

浅い眠りのまま、朝を迎えた。服を脱いでもう一度全身を見てみた。1カ所、2カ所…と蚊に刺された場所を数えたところ、なんと80を超えていた。夏だったので下着だけで寝ていて露出が多かったことも災いした。自分はこれまでなぜか蚊にさされやすい体質だったが、これほどまでなのは初めてだった。父親も約80、母親は30程度だった。僕と父親は窓に近いベッドに寝ており、そのぶん多くの蚊の餌食となった。朝食のバイキングも美味しかったが、正直それどころではなかった。さらにかゆみは昨晩よりも酷くなっていたので、フロントに行って虫さされの薬をもらってきた。5分おきにムヒを全身に塗った。人生でここまでムヒに感謝したことはないし、これからもすることはないだろう。そうだ、ここは温泉だ、アルカリ泉は虫さされに効くかもしれない、と思って、再度入浴もしてみたものの逆に血行が促進されてかゆみは増した。

 

帰りの車の中で家族会議が開かれた。前日からの状況の証言をもとにあの部屋でいったい何が起きたのかを明らかにしていった。30分ほどで詳細な状況がつかめてきた。

 

 ①蚊の襲撃の直接の原因となった「窓を開ける」行為をしたのは父親であった。当然のように彼は非難の的になったが、僕は100%彼に責任があるとは考えていない。僕達は白馬に来る前、同じ長野県の蓼科周辺に滞在していた。そこは標高1300mの高原地帯で、気温は10度台と涼しく、ホテルの窓を開けても虫は一切入ってこなかった。冷房もつけず、夜は窓を全開にしていた。父親はそこの気候に慣れていたので、白馬でも部屋に入ると同時にためらうことなく窓を開けた。窓を開けて、と言われれば僕も母親もそうしただろう。白馬の標高500mは、蚊の生息域に入っているようだった。

②ただ、窓を開けていたとしても、それだけでここまで大きな被害を受けるとは考えにくい。しかし、僕達の部屋が比較的低層階に位置し、自然豊かな中庭に面していたこと、白馬ではここ数日ぐずついた天気が続き、水たまりのボウフラが一斉に羽化したのではないかということ、真夏であり皆が軽装で寝ていたこと、などが被害を拡大させたと考えられる。

 

そして、なにより困ったのは僕が翌日に高校入試の模擬試験を控えていたことである。中学校が主催の年に3回しかない進路を決める上で重要なテストだった。時間が経つにつれ全身のかゆみは強さを増してくるし、このままでは机に集中して向かうことすら出来ないだろう。とりあえず明日の様子を見てみることで家族の意見は一致した。

 

 

 

翌朝、僕は中学校に電話した。

「先生、今日の模試、全身のかゆみにより欠席します」

電話口の向こうで担任が息をのむのが聞こえた。僕は後日再受験となった。

 

無題

人間は、常に計算を繰り返している。みなそれぞれが自分の数字を持っていて、一生をかけて足し算や引き算が行われる。僕も例外ではない。10年前、僕は100だったとすると、あるときには10が足されたり、またあるときには30が引かれたりして今に至っている。ゼロを掛けたこともあった。100で割ったこともあった。そしていま、自分の持っている数字が何なのか、わからない。もしかしたら、マイナスなのかもしれない。

 

「本当」という言葉は、僕に口をつぐませる。果たして僕の発する言葉はまぎれもなく本当なのか、と疑い始めると、どうしようもなくなる。それは嘘ではないかもしれない、しかし僕の言葉は「本当のもの」と同一なのだろうか?そうだとしたら、「本当のもの」とはいったい何なのだ?そもそも「本当のもの」は「本当と呼ばれているもの」にすぎず、「本当」は本当に存在するものではないのではないか?結局、僕という人間に、本当や絶対なんて存在しないのかもしれない。これまでも、これからも。

 

ただ、ひとつ、絶対に本当のことがある。僕について何かが変わってしまった、ということだ。今、過去のどの一点とも違う自分がいるのだ。それが何なのかはわからない。状況の話なのか、僕の中での話なのか、わからない。正しい方向に変わったのか、誤った方向に変わったのか、わからない。ただ、明らかに違う自分が、そこに、目の前にいる、これは事実だ。僕は自問自答する。何が起きたのだろうか、と。でもそれがいったい何なのかはわからない。

 

小雨の夜の環七通りを信号待ちしていた。前の車のブレーキランプと信号で、フロントガラスの雨粒に赤い光が乱反射していた。車線を区切るアスファルトの黄色い線は、進路変更をしてはいけないことを告げている。僕はハンドルに手をかけたままぼんやりと視界の悪い前方を見つめている。そんなときに、ふと感じずにはいられないのだ。僕のどこかが変わったのだ、ということに。前の僕とは根本的に違う自分がいるのだ、ということに。そしてそれは本当に僕なのだろうか?

 

ある夜、僕はアルバイト先の先輩と二人で居酒屋に入った。いろいろな話をしていたら、いつの間にか夜が明けていた。頭上にはうっすらと白んでいく高田馬場の空が見えた。山手線は動き始めた。高架下を抜けて、眠気と酔いと疲れのまどろんだ目をロータリーの上空に向けたとき、僕が僕ではなくなったことを認識した。

 

大学の授業の空きコマに友人の家のソファーにもたれかかっていた。部屋には針の落とされたレコードからビートルズの曲が流れている。二階にはロフトもあり、高い天井に音が反響していた。彼が出してくれたコーヒーを飲んで4、5人でたわいもない話をしているとき、僕は過ぎ去っていった時間の重みを考えていた。

 

深夜の京都、鴨川沿いの遊歩道から見える対岸の料理屋の提灯が川面に映って揺らめいていた。四条大橋の下には大勢の恋人たちが二人で座っていた。橋から祇園までの道は、怪しげな灯篭の光で満たされていた。そんな中を歩いていたとき、今自分は何をしているのだろうと思った。

 

博多、西日本一の歓楽街、中洲。バーに入ってカクテルを浴びるほど飲んだ帰り道、無料案内所のネオンサインの光が、僕の酔った目には二重の輪郭をつくっていた。永遠に続いていきそうなきらめきの中を風俗店のキャッチに声を掛けられながら、ホテルまで歩いた。隣を歩く友人たちはゴールデンバットを吸っていた。何かを失ったのかもしれない、とそのときに思った。同時に、何かを得たのかもしれない、とも思った。 

 

赤レンガ倉庫はいつも絶対にそこにあった。夜の横浜、みなとみらいからは、レインボーブリッジが、そこを通る車の光とともに見える。海に浮かぶ客船は、たまに汽笛を上げる。内陸側には光ったランドマークタワーが、あの独特のフォルムで立ちはだかる。海沿いの手すりに手をかけて、すぐ下に広がる海を見つめる。うごめく波に吸い込まれていきそうだった。 そのとき、僕がここに存在していることを疑った。

 

露天風呂から夜空を見上げた。星がきれいだ。標高の高い箱根湯本は、もう冬の空気で、吐く息と湯気の白色の水蒸気があたりに立ち込めている。同じ湯舟にちょうど一年前に入ったのだった。足を延ばして、目を閉じた。かつて想像もつかなった世界を今、生きているのを実感した。

 

普段のなんてこともない朝、明治通りを大学まで歩く通学路、隣を走る車の音をイヤホンから流れる音楽でかき消しながら一限に間に合うように早歩きする。諏訪町交差点では警察がバス専用レーンの取り締まりを行っている。朝からご苦労様だ。そんなとき、ふと空を見上げると抜けるような青空が広がっていた。 そんな天気だと、どうしても、大学のキャンパスの4階の屋外の渡り廊下に行ってしまう。僕の大好きな場所だ。暇なとき、わざわざそこまで行ってたそがれる。そこから、北のほうを見ると眼下に若者たちが中庭を歩いたり、ベンチに座ったりしているのが見える。南のほうには新宿の高層ビル群がそびえている。そんな景色を見て、明治通りをサイレンを鳴らして走る緊急自動車の音を聞きながら、大きく息を吐く。なんで自分が今ここにいるのかを考える。それが、偶然なのか必然なのか、いつも分からなくなる。

無題

なんかごめん本当に。そこにいてごめん。謝るしかないです。許してください。

本当に何もなくて素直になれないから。絶望を感じるんです。何してるんだろうって。

そして変人なんです。でも何が何だか分からないから。どこにいるか分からないから。

周りが何なのか分からないから。頭の中が何なのか分からないから。

最後に輝きを感じたのはいつでしょうか?最後に煌めきを感じたのはいつでしょうか?最後にしびれるほどの興奮を感じたのはいつでしょうか?

2足す2は4であるのはいつからでしょうか…XのあとにYが来るのはいつからでしょうか…

とんでもない森に迷い込んでいます。出たと思ったら元いた場所に戻っているのです。ひどく頭が混乱しています。哀しいんです。うまく口にできませんが。

どうやら自分だけ違う世界にいるようです。僕は俯瞰しています。全く別の世界から。死んだように見守るんです。

 

 

いま分からないこと

いま分からないこと

 

経験が積み重なっていくことに何か意味があるのかということ

思い出が今の僕に何を伝えているのかということ

他者との出会いは何なのかということ

 

素直になるということ

言いたいことを口に出すということ

 

若さと行動力と勢いがどこから生まれてくるのかということ

変わるということ

 

過去を照らす太陽はなぜあんなに美しく淡いのかということ