雑記

自分用ブログ

無題

人間は、常に計算を繰り返している。みなそれぞれが自分の数字を持っていて、一生をかけて足し算や引き算が行われる。僕も例外ではない。10年前、僕は100だったとすると、あるときには10が足されたり、またあるときには30が引かれたりして今に至っている。ゼロを掛けたこともあった。100で割ったこともあった。そしていま、自分の持っている数字が何なのか、わからない。もしかしたら、マイナスなのかもしれない。

 

「本当」という言葉は、僕に口をつぐませる。果たして僕の発する言葉はまぎれもなく本当なのか、と疑い始めると、どうしようもなくなる。それは嘘ではないかもしれない、しかし僕の言葉は「本当のもの」と同一なのだろうか?そうだとしたら、「本当のもの」とはいったい何なのだ?そもそも「本当のもの」は「本当と呼ばれているもの」にすぎず、「本当」は本当に存在するものではないのではないか?結局、僕という人間に、本当や絶対なんて存在しないのかもしれない。これまでも、これからも。

 

ただ、ひとつ、絶対に本当のことがある。僕について何かが変わってしまった、ということだ。今、過去のどの一点とも違う自分がいるのだ。それが何なのかはわからない。状況の話なのか、僕の中での話なのか、わからない。正しい方向に変わったのか、誤った方向に変わったのか、わからない。ただ、明らかに違う自分が、そこに、目の前にいる、これは事実だ。僕は自問自答する。何が起きたのだろうか、と。でもそれがいったい何なのかはわからない。

 

小雨の夜の環七通りを信号待ちしていた。前の車のブレーキランプと信号で、フロントガラスの雨粒に赤い光が乱反射していた。車線を区切るアスファルトの黄色い線は、進路変更をしてはいけないことを告げている。僕はハンドルに手をかけたままぼんやりと視界の悪い前方を見つめている。そんなときに、ふと感じずにはいられないのだ。僕のどこかが変わったのだ、ということに。前の僕とは根本的に違う自分がいるのだ、ということに。そしてそれは本当に僕なのだろうか?

 

ある夜、僕はアルバイト先の先輩と二人で居酒屋に入った。いろいろな話をしていたら、いつの間にか夜が明けていた。頭上にはうっすらと白んでいく高田馬場の空が見えた。山手線は動き始めた。高架下を抜けて、眠気と酔いと疲れのまどろんだ目をロータリーの上空に向けたとき、僕が僕ではなくなったことを認識した。

 

大学の授業の空きコマに友人の家のソファーにもたれかかっていた。部屋には針の落とされたレコードからビートルズの曲が流れている。二階にはロフトもあり、高い天井に音が反響していた。彼が出してくれたコーヒーを飲んで4、5人でたわいもない話をしているとき、僕は過ぎ去っていった時間の重みを考えていた。

 

深夜の京都、鴨川沿いの遊歩道から見える対岸の料理屋の提灯が川面に映って揺らめいていた。四条大橋の下には大勢の恋人たちが二人で座っていた。橋から祇園までの道は、怪しげな灯篭の光で満たされていた。そんな中を歩いていたとき、今自分は何をしているのだろうと思った。

 

博多、西日本一の歓楽街、中洲。バーに入ってカクテルを浴びるほど飲んだ帰り道、無料案内所のネオンサインの光が、僕の酔った目には二重の輪郭をつくっていた。永遠に続いていきそうなきらめきの中を風俗店のキャッチに声を掛けられながら、ホテルまで歩いた。隣を歩く友人たちはゴールデンバットを吸っていた。何かを失ったのかもしれない、とそのときに思った。同時に、何かを得たのかもしれない、とも思った。 

 

赤レンガ倉庫はいつも絶対にそこにあった。夜の横浜、みなとみらいからは、レインボーブリッジが、そこを通る車の光とともに見える。海に浮かぶ客船は、たまに汽笛を上げる。内陸側には光ったランドマークタワーが、あの独特のフォルムで立ちはだかる。海沿いの手すりに手をかけて、すぐ下に広がる海を見つめる。うごめく波に吸い込まれていきそうだった。 そのとき、僕がここに存在していることを疑った。

 

露天風呂から夜空を見上げた。星がきれいだ。標高の高い箱根湯本は、もう冬の空気で、吐く息と湯気の白色の水蒸気があたりに立ち込めている。同じ湯舟にちょうど一年前に入ったのだった。足を延ばして、目を閉じた。かつて想像もつかなった世界を今、生きているのを実感した。

 

普段のなんてこともない朝、明治通りを大学まで歩く通学路、隣を走る車の音をイヤホンから流れる音楽でかき消しながら一限に間に合うように早歩きする。諏訪町交差点では警察がバス専用レーンの取り締まりを行っている。朝からご苦労様だ。そんなとき、ふと空を見上げると抜けるような青空が広がっていた。 そんな天気だと、どうしても、大学のキャンパスの4階の屋外の渡り廊下に行ってしまう。僕の大好きな場所だ。暇なとき、わざわざそこまで行ってたそがれる。そこから、北のほうを見ると眼下に若者たちが中庭を歩いたり、ベンチに座ったりしているのが見える。南のほうには新宿の高層ビル群がそびえている。そんな景色を見て、明治通りをサイレンを鳴らして走る緊急自動車の音を聞きながら、大きく息を吐く。なんで自分が今ここにいるのかを考える。それが、偶然なのか必然なのか、いつも分からなくなる。