雑記

自分用ブログ

湯西川温泉にて


大学の夏休みに家族旅行で湯西川温泉に行った。旅好きの親に連れられて、また自分が鉄道で旅をするのが好きだったということもあり、今まで全国様々な所へ旅行へ行ってきたが、この温泉はそれまでとは全く違う印象を受けた。いわゆる観光地化された温泉地というわけでもなく、人里離れた場所にポツンと存在する秘湯のようなところでもない。川沿いに民家が点在し、集落に住む人が温泉を経営しているというような感じだ。

栃木の山奥にあるこの温泉は東京から車で3時間ほどかかった気がする。高速道路を降り、日光からはずっと下道で鬼怒川と会津鉄道に沿うように上流へ向かう。湯西川温泉という駅がある場所もダム湖のほとりで周囲には何もない。そこからさらにわき道に入って15分くらい進むとやっと到着する。観光シーズンの過ぎた9月初旬の平日に来る人はほとんどおらず、旅館も10組くらいしか客がいなかった。

出発前に何げなく調べたことによると、この地は平家の落人伝説の残るところだという。今から400年以上前、平重盛の六男忠実が落ち延びたといわれ、いまでも討伐から逃れるため焚火をしないといった風習などが残っているらしい。夕食時に宿の女将があいさつに来たが、自分たちも平家の末裔であり、その血が流れていると言っていた。

旅館の露天風呂に一人入りながら、ぼーっと森に囲まれて流れる湯西川を眺めていると、なんだか不思議な気持ちになった。今自分が見ているのと同じ景色を平家の武将たちは見ていたのかもしれない。川の水はそのまま飲めるほど澄んでいた。はるか昔に彼らはどのような気持ちでこの川を眺めていたのだろうか。その気持ちは自分とどのような違いがあったのだろうか。

風呂上がりに体を冷ますため浴衣でふらっと宿の玄関から外に出てみた。首都圏は30℃近くあったがここは20℃ちょっとで過ごしやすかった。ぶらぶらしていると宿の目の前に小さな鳥居があるのを発見した。ほとんどの人が素通りし、地元の人でも行くのかどうかわからないくらいの神社だった。地図にも載っておらず、うっそうとした木々に囲まれ昼でも薄暗く不気味でだった。でもそこに自分は吸い寄せられるようにして入っていった。

境内に続く階段の下であたりを見回し、太陽が高い木の葉から木漏れ日として入ってくるのを眺めながら、さらに不思議な気持ちになった。寂しい神社だが荒廃しておらず、今でも人の手が加えられているのが分かった。なぜこんなところに神社があるのだろうか。神道の信仰が生まれるためには何か理由や起源があったのだろう。この神社を建立したのはこの集落の祖先、平家の落人だったのかもしれない。もしそうであるならば、彼らは何を思ってこの神社を造ったのだろうか。

そんなことを考えていると、突然、目の前が幻想を見ているかのようにぼやけてきた。目を閉じたら、この秘境の湯西川の地、誰もいない神社の境内にいる自分、平家の落人伝説、歴史、人……といったものがすべて合わさって自分の中に入ってきたような気がした。自分が自分でない感じがして、ほかに何も考えられなくなった。

僕が再び目を開けたとき、もう一度あたりを見回した。そのとき目の前を、落ち延びた平家の武将たちが全身を鎧や兜に身を包んで歩いていく光景が見えた。