雑記

自分用ブログ

幸せ



僕は今年、本当に、心の底から「幸せ」と思えるような光景に二度出会った。
 
一度目は湯西川温泉だった。旅行の帰りに寄った、湯西川に沿った小さな観光施設は、僕らの車しか駐車場にはなかった。9月初旬、天気は快晴だった。すぐそばに、川を渡るように比較的新しいつり橋がかけられてあった。引き寄せられるようにしてつり橋のほうへ向かったが、渡る人は自分一人しかいなかった。橋の下の渓流には透き通った水が流れていた。岸には小さな石がたくさん転がっていた。一歩踏み出すごとに橋は、揺れた。

そのとき、下のほうで歓声が聞こえた。見ると、数人の保育園の園児たちが先生に連れられて水遊びをしていた。僕は、橋の真ん中からそれを見下ろしていた。

この光景に、不幸になる要素は全くない、と思った。この地で犯罪が起こるはずもなかった。大自然に抱かれて無邪気に遊ぶ子供たち。それを見守る先生たち。その空間は幸福に満ち溢れていた。

二度目は辻堂の海浜公園だった。午前中、快晴の下、11月の太陽がまるで夕方のように低い高度から差していた。木の影は広い青々とした芝生に長く伸びていた。

休日なのに人は少なく、数組の家族連れしかいなかった。ヤシの木にロープを括り付けて大縄跳びをしている家族もいれば、サッカーをしている家族もいた。ある一家はベビーカーを押して歩き、両親は楽しそうに会話していた。僕は、ベンチに座りながらぼーっとその景色を見ていた。

この光景からも、少しの不幸も感じられなかった。少しの闇も感じられなかった。すべてのものに光が当たっていた。どんな犯罪がおこる余地もなく、その空間は幸福に満ち溢れていた。

離れて見ている僕はこの景色の一員となってよいのだろうか。幸せの外にいるものが、この空間に入っていってよいのだろうか、分からなかった。